2006年07月09日

死刑制度

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが日本の死刑制度について報告書を発表し、日本の死刑制度を批判した。ただ、この批判というのは笑ってしまうものだ。

批判@「突然、秘密裏に執行される。死刑囚は常に処刑の恐怖の中で生き、毎日、その日が最期の日になるかどうか分かることはない」
批判A「日本は国家による殺人を実行している数少ない先進国」
批判B「政府は、死刑制度の現実を公表しないまま、世論の支持があるとしてこの非人道的な刑罰を正当化することはできない」

 死刑制度反対派の多くの意見は、死刑制度が人道に反する行為という考えによるようだ。では、被害者・遺族の人権はどうなるのだろうか?死刑判決を受けた凶悪犯らは被害者・遺族に対して人道に反する行為を行ったわけであり、人の人権を奪ったものにまで人権を考慮するのはいかがなものかと考える。

 アムネスティは先進国をはじめ、多くの国では死刑制度が廃止の方向に向っており、それが正しいと考えているようだが、果たしてそれは正しい動きなのだろうか?被害者の人権や心情より加害者の人権を優先していることになりはしないか?大多数がそうしているから正しいとは言い切れない。

アムネスティの日本語HPには死刑廃止に関する意見とそれに対する回答が掲載されている。
(質問1:極端な悪事をした人間はやはり極刑に処するのが妥当では?
 質問は光市の母子殺害事件のような凶悪事件の遺族の身にたってみれば、普通の人の心情では死刑廃止なんていえないのでは?というものに対してのアムネスティの回答が載せられている。
 これに対してアムネスティの担当者は「被害者心情を考えればそういう考えは分かるが、殺してやりたいと実際に殺してもよいのかとは別問題だ」と返答している。ただ、これは答えになっていない。これは、「敵討ちはどうですか?」ということに対する返答であるのではないだろうか。問題を摩り替えている。

 また、死刑制度に関しては、「極悪非道の犯罪者であろうと私達にその人の命を奪う権利はない」と主張し、死刑制度を国家による新たな殺人でしかない」と言い切っている。死刑=国家による殺人というのは死刑反対派の題目となっているが、これは殺人犯の行った行為と被害者が受けた仕打ちを天秤にかけ、等しい価値とみなしているのではないか?


 死刑制度については、アムネスティなどは刑と執行する刑務官のことを考えろとか、国家による新たな殺人とかを主張しているが、彼らの運動には被害者の人権・心情に対する配慮と、凶悪犯が死刑に変わる方法として如何にして罪を償うべきかという答えがない。終身刑などを主張しているものもいているが、一生堀の中で社会と隔絶されて行き続けることが死を持って償うことと等価値といえるだろうか?アムネスティらが死刑制度に反対するからには、死刑と十分に釣り合う刑罰を提案するべきではないか?
posted by たかっちゃん☆ at 17:40| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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